中谷 忠巳

profile

所属球団
元阪神タイガース
元近鉄バファローズ
           元オリックス・ブルーウェーブ
           元阪神タイガース
氏 名
中谷 忠巳(なかたに ただみ)
ポジション
生年月日
出身地
外野手
1965年9月1日
兵庫県

【球歴】

出身中学(出身チーム)
福田中学校 軟式野球部
出身高校
神戸村野工業高校(兵庫県)
出身大学
その他出身チーム

【プロ野球歴】

プロ野球入団
1983年 ドラフト外 阪神タイガース
所属球団( )内は背番号
1984年~1988年途中 阪神タイガース (65→48)
1988年途中~1993年 近鉄バファローズ (60)
1994年           オリックス・ブルーウェーブ (45)
1995年           阪神タイガース (57)
引退
1995年

【プロ野球(NBA)通算成績】

通算:12年
試合数 打数 得点 打点 安打数 二塁打数 三塁打数 本塁打数 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
236 345 27 50 97 18 1 5 2 1 4 23 1 71 .281

next stage

1996年~現在  ちゃんこ鍋・くわ焼 「なかたに」 開店
【 店名 】
ちゃんこ鍋・くわ焼 「なかたに」
【 住所 】
大阪市中央区南船場2丁目2-23 赤沢ビルB1
【 営業時間 】
<昼>11:30~13:30  <夜>17:30~23:00
【 定休日 】
日曜日
【 電話 】
06-6267-0080
【 地 図 】
場所はコチラ
【 WEBサイト 】
http://r.tabelog.com/osaka/A2702/A270201/27031064/

interviews

「ケガも多かったし、プロ生活は苦しいばっかりだったかな~。」

  • 真木
    「こんにちは。今日はよろしくお願いします。」
  • 中谷
    「こちらこそよろしくな。」
  • 真木
    「中谷さんとはオリックスOBの野球教室で何度かご一緒させてもらったんですけど、いろんなところに教えに行かれてるんですか?」
  • 中谷
    「そうやな~。オリックスの野球教室以外にも、お店のお客さんの関係で岐阜に行ったり関東に行く事もあるかな。」
  • 真木
    「岐阜や関東って、結構遠いところまで行くんですね~。
    中谷さんって子供の頃に野球を始めたキッカケって何ですか?」
  • 中谷
    「俺達が子供の頃って、広場があったらみんなが自然と野球をして遊んでたからそれからだよね。 その後に実際に少年野球のチームに入ったのが小学校3年生くらいの頃だったかな。」
  • 真木
    「やっぱりその頃からプロ野球選手になりたいって思ってました?」
  • 中谷
    「いや~、それがそうでもなかったね。 とにかく野球が好きで一生懸命やってたって感じだったな。 プロ野球選手にはなれたらいいな~、くらいの意識だった覚えがあるよ。」
  • 真木
    「そうなんですか? チームの練習以外でも家で練習とかもしてました?」
  • 中谷
    「それはしてたね~。 野球ではないんだけど父親もスポーツをしてた人で、スポーツをやるなら一生懸命やりなさいって教えだったから家にネットを張ってくれたり素振り用のタイヤを取り付けてくれたりしてたね。 家の近くの神社の階段を走りに行くのも日課だったよ。 小学校・中学校の頃は、やらなきゃ気持ち悪いってくらいだったね。」
  • 真木
    「中学校では学校の野球部だったんですよね?」
  • 中谷
    「そうそう、だから何時になったら部活も終わらせて帰りなさいって決まりだったから、その分は家で練習してたんだ。」
  • 真木
    「高校は名門の神戸村野工業だから練習も厳しかったんでしょうね?」
  • 中谷
    「厳しいって言うのもあるけど、とにかく練習時間が長かったね。朝練もあったから、毎朝家を4時には出なきゃいけなかったし、夜も家に帰り着くのは遅かったね~。」
  • 真木
    「じゃあ後にプロに行って活躍できるように鍛えられたのは高校の練習があったからなんですかね?」
  • 中谷
    「そうだな~。一番バットを振ったのは高校時代だろうな。 練習も全体の9割くらいの時間はバッティング練習をするような打撃重視のチームだったんだよ。 他にも、試合でみっともない負け方をしてしまうと、試合会場から学校までの距離を走って帰らされる事も珍しい事じゃなかったね。 試合後に10kmとか20kmくらい走る事はよくあったよ。」
  • 真木
    「それで、村野工業から阪神に入団されたんですよね。 昔はよく聞いた『ドラフト外』の入団と言う事ですけど、どういう事なんですか?」
  • 中谷
    「人によってケースは違うかもしれないけど、俺の場合は、高校3年の秋に入団テストを受けに行ったんだ。まずは短距離走と遠投で計測するんだけど、そこで成績の良かった人だけ午後の実践テスト残れるんだ。実践テストも終わって、後日合否の連絡をもらう事になるんだけど、その連絡で合格を知らされて入団する事になったんだ。 ドラフト外ってテスト生とも言うけど、基本的には契約金じゃなくて最低限の支度金だけなんだ。」
  • 真木
    「最近は育成枠って制度が出来ましたけど、その選手たちは支配下登録はされないから、そのままだと1軍の試合には出られないし背番号も3ケタになるみたいですよね。」
  • 中谷
    「そうみたいだね。 俺達みたいな昔のテスト生はそういう制限は特になかったんだ。 普通にそのまま1軍の試合にも出れるし、背番号も他の選手と変わりなかったし。 制度的には大きな差はなかったんだけど、でもやっぱり大きな壁を感じる事はあったんだ。」
  • 真木
    「それはどういう事ですか?」
  • 中谷
    「即戦力って期待をされてるドラフト上位の選手とテスト生とでは、同じ時期の入団同士でももらえるチャンスが全然違うよね。 あるシーズン、俺が2軍で3割5分以上の打率を残して独走の首位打者だったんだ。そこで1軍のレギュラー選手がケガをして2軍から1人上がる事になるんだけど、結局上がったのは、2軍で打率が2割ちょっとだったそのシーズンのドラフト上位で入団してきた選手だったんだ。 正直、あれは悔しかったね~。」
  • 真木
    「そんな事もあったんですね~。 それでも気持ちが腐る事なく頑張り続けたからこそ、その後の活躍が出来たんですよね。 中谷さんの中でプロ野球生活の記憶に残ってる事ってどんな事ですか?」
  • 中谷
    「う~ん、やっぱり節目節目は覚えてるね。 まずは初出場。さっきの悔しかった出来事の2年後くらいなんだけど、当時、甲子園球場の阪神戦って言ったら6万人くらいの観客だったんだよ。そこでの初打席は身震いしたのを覚えてるな~。 その後、初ヒットは近鉄に移籍してからなんだけど、西武にいた郭って言うピッチャーから、入団してから6年目でやっとの初ヒットだったから嬉しかったね~。『やっと1本出た~』って心の中で叫んでたよ。 それから初ホームラン。打った相手ピッチャーもロッテの村田兆治さんからだったし今でもハッキリ覚えてるね。」
  • 真木
    「やっぱりみんな同じなんですね~。 僕も節目の、初登板、初勝利、初完封は今でも覚えてますもんね。 プロ生活の中で苦しかった事は何ですか?」
  • 中谷
    「やっぱりケガだね。入団してすぐ、背中の肉離れをしてしまったんだけど、それからは癖みたいになってしまって、しょっちゅう肉離れしてケガばっかりだったんだ。」
  • 真木
    「背中の肉離れって珍しいですね~」
  • 中谷
    「そうなんだよ。 ケガをしてリハビリをして復帰しても、また無理をしたりすると同じところをケガしてしまうから悔しかったね。 最後の近鉄の頃は代打での出場が多かったから、1打席だけ集中できるように体にサラシを巻いて出てた時期もあったよね。」
  • 真木
    「中谷さんって近鉄に移籍してから活躍しだしたってイメージなんですけど、移籍してから何かキッカケとかあったんですか?」
  • 中谷
    「まあ当時の阪神ってレギュラー陣にすごい選手が多かったからチャンスが無かったって言うのもあるんだけど、それ以外には、近鉄に移籍して中西太さんってコーチとめぐり合った事も大きかったかもね。バッティングの理論とか練習方法によってキッカケをつかめたのかもしれないな。 当時の近鉄で4番を打ってたブライアントも、最初は中日から移籍してきて全く変化球が打てない選手だったんだけど、中西さんの特訓であれだけ打てるバッターになったんだよ。」
  • 真木
    「中西太さんって僕は一緒にやらせてもらった事はないんですけど、いろんな先輩たちからよく話に聞きますね~。 プロに入ってもいろんな監督やコーチの人達がいて、そのめぐり合わせってすごく大きな別れ道になったりするんですよね~。
    いきなり話は飛んじゃうんですけど、中谷さんが現役を引退する決意ってどう思ったんですか?」
  • 中谷
    「最後は靭帯の大きなケガをしてしまったって言うのもあるんだけど、その時に自分の中でプロ野球は30歳までって区切りを付けてたんだ。 30歳を過ぎて無理して現役にこだわっても、その後の生活でプロ野球界に残れるとは限らないし、何をやるにしても年齢が過ぎれば過ぎるほどやりにくくなるとも思ってたしね。だからそのケガのタイミングで諦められたかな。」
  • 真木
    「そうなんですね。 じゃああまり現役にこだわって気持ちを引きずる事もなかったんですね?」
  • 中谷
    「辞める時はなかったね。 でもその翌年からこのお店を始めたんだけど、お店にいるとやっぱり野球をやってる方が良かったな~って何度も思ったね。 野球をやってる時は、自分のペースで練習したり野球の事だけを考えてれば良かったけど、お店は違うもんね。 お客さんに来てもらわなきゃいけないし、料理も全然分からないところから始めてるし、お客さんとの接し方とかも難しいと思ってしまうしね。」
  • 真木
    「そうだったんですね~。
    じゃあそろそろ最後に、野球をやってる子供達とかその家族の人達にアドバイスがあればお願いします。」
  • 中谷
    「そうだね~、いろいろ野球を教えに行くこともあるけど、まず言える事は礼儀とか挨拶とかが出来ないとその先はないと思うね。」
  • 真木
    「やっぱりそう思いますか?」
  • 中谷
    「うん感じるね。挨拶が出来なかったり言葉使いが出来ない子って、自分勝手になっていくんだよね。 そうなると野球の上達も遅いし、チームも勝てるチームにならないんだよ。 目上の人達にちゃんと挨拶が出来たりすると、自然と聞く耳も持つようになるし、素直に野球に取り組むようになるよね。 教えて欲しい、上手くなりたい、って正直になってくれるんだ。 そうなると上達するのも早く感じるんだ。」
  • 真木
    「不思議かもしれないですけどやっぱり大切ですね~。 子供達にそこまで理解をしろって言うのは無理な事かもしれないですけど、大人が根気強く教えていかないといけないですよね。」
  • 中谷
    「そうそう! 元プロ野球選手だからと言って技術ばっかり教えるんじゃなくて、そういう最初に大切な事も伝えていかなきゃね。」
  • 真木
    「僕もそう思いますね。 今後の野球界の為にも子供達には頑張ってもらわないと!
    今日は忙しいところをありがとうございました。」
  • 中谷
    「いやいや、とんでもない。」
  • 真木
    「また今後ご飯食べに来ますからよろしくお願いしますね。」
  • 中谷
    「おう、いつでも気軽に来てや~。」
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