中込 伸

profile

所属球団
元阪神タイガース
元兄弟エレファンツ(台湾CPBL)
氏 名
中込 伸(なかごみ しん)
ポジション
生年月日
出身地
投手
1970年2月16日
山梨県

【球歴】

出身中学(出身チーム)
玉幡中学校
出身高校
県立甲府工業高校(山梨県)
出身大学
その他出身チーム

【プロ野球歴】

プロ野球入団
1988年 ドラフト1位 阪神タイガース
所属球団( )内は背番号
1989年~2001年 阪神タイガース           (99→1→55)
2002年~2005年 兄弟エレファンツ(台湾CPBL) (55)
引退
2005年

【プロ野球(NBA)通算成績】

通算:13年
登板 先発 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回数 被安打 被本塁打 与四球 与死球 奪三振 失点 自責点 防御率
182 128 41 62 2 916.1 899 94 300 13 562 425 380 3.74

next stage

2011年4月~   佐川急便
           お店開店準備
2011年12月    炭火焼肉『伸』オープン
【 店名 】
炭火焼肉『伸』
【 住所 】
兵庫県西宮市甲子園七番町13-7
【 営業時間 】
17:00~23:00
【 定休日 】
なし
【 電話番号 】
0798-49-7088
【 地 図 】
場所はコチラ
【 WEBサイト 】
http://tabelog.com/hyogo/A2803/A280301/28033020/

interviews

「俺は子供の頃から今に至るまで、いつも周りの人達の力があってここまでやってこれたんだよ。それだけは本当に恵まれてたと思うな」

  • 真木
    「お店の開店前にバタバタでお願いしまして申し訳ありませんでした。短い時間ですがよろしくお願いします」
  • 中込
    「うんうん、OK」
  • 真木
    「じゃあ早速本題なんですけど、子供の頃野球を始めたキッカケって何でしたか?」
  • 中込
    「4歳上の兄がいてよくキャッチボールをするようになったのが始まりかな。それを周りの人達が、おっ才能あるじゃないかって言い出して、それなら野球やっちゃおっかな~みたいな軽いノリで始めたんだよ。それが小学校の3年生くらいだったかな」
  • 真木
    「小学校の時はチームの練習だけじゃなくて自分で夜に練習をしたりとかはしてたんですか?」
  • 中込
    「するわけないでしょ!俺の現役時代を知ってたら分かるでしょ?そういう努力とかまったくしない人だったんだから」
  • 真木
    「そうなんですか?子供の頃からだったんですか?」
  • 中込
    「そうだよ!もともとね、自分で野球が好きで始めたかどうかすらよく分からないくらいなんだから。もうちょっと真面目に練習もしておけばもっと野球が上手くなってたのかな~なんて、今になってよく思うくらいだよ」
  • 真木
    「普通の野球選手でもそういう事ってよく言ってますけど、中込さんの場合は普通の人達とは比べ物にならないくらいそのセリフが似合いますね。本当に練習なんかしてなさそうなイメージですよ」
  • 中込
    「そうだな。実際中学生になったら野球よりも遊ぶ事の方が楽しくて、中学時代はほとんど野球をやってないもんね。大丈夫~?俺のこんな話なんか参考にならないやろ!」
  • 真木
    「いえいえ、確かにお手本にはならないかもしれないですけど、でもそういう経験だからこそ伝えられる事って言うのもあると思いますし。でも高校では野球もやって甲子園にも出てますよね?」
  • 中込
    「そうそう、小学校の時はそこそこ有名だったから、それで中学3年生の時に友人が甲府工業の監督に紹介してくれて何とか野球をやってみろって周りの人達からも言われてやるようになったんだよ」
  • 真木
    「でもよく見たら最初は定時制だったんですね?野球をする為に行ってるのに定時制ってどういう事だったんですか?」
  • 中込
    「とにかく中学の時は好き放題やってたから、その甲府工業の監督が無理矢理にでも勉強をさせられたりとかいろいろしてくれたんだ。後に聞いたら高校入試の点数は取れてたんだけど、あまりにも内申書が悪すぎて定時制になったんだって。実際、スベリ止めで受けとけって言われてた学校には合格してたからね」
  • 真木
    「合格してたのに定時制の方を選択したんですか?」
  • 中込
    「まあね、当時、本当に甲府工業の監督さんがいろいろ俺の事を考えてやってくれたからその人の為にも頑張らなきゃって気持ちが強かったからね。そういう人の行為を裏切ったらアカンって、そういうところはその頃から大切にしてきたな」
  • 真木
    「それで結局、甲子園にも出場したしドラフトにも指名されたわけですもんね」
  • 中込
    「そうだな~。本当に俺はたくさんの人の力でいろいろな経験をさせてもらったんだよ。最初、定時制の高校に通ってる時は試合には出れなかったんだ。だから1年終わった時に全日制の方に入学し直してそれではじめて試合に出れるようになったんだ。1年生として試合には出るんだけど、年齢は1歳上になるだろ。そしたら今度は3年生になった時は年齢の問題で試合には出れないんだよ。
  • 真木
    「ドラフト1位で入団しているって事だけを見れば順風満帆に入団していったのかと思ってましたけど、高校時代もいろいろとあったんですね~」
  • 中込
    「そうだな。ドラフトもドラフトで、高校の卒業資格が必要だからって事で、高校野球が終わってからは阪神の練習生として練習をしながら近くの定時制の高校に通って卒業資格を取らせてもらったしね」
  • 真木
    「あ~、昔はそういうドラフト指名の仕方があったみたいですね。
    中込さんにとってプロ野球生活ってどうでしたか?いろいろ良い事も悪い事も覚えてる事ありますか?」
  • 中込
    「う~ん、あまり覚えてないね~。でもやっぱり1軍の先発ローテーションで投げさせてもらったりとかプロの1軍で野球をやらせてもらった事は本当に良い経験ができたと思ってるね」
  • 真木
    「じゃあ悪い方の思い出とかってありますか?」
  • 中込
    「やっぱりリハビリ生活が長かった事かな。結局、肘の手術も3回したしね。本当、リハビリ期間中は野球もできないのに給料はもらって・・・、こんなんで良いのかな?って自分を責めてしまう事が多かったな」
  • 真木
    「手術3回は多いですね~。自分は大きな故障とかケガはなかった方なので長期のリハビリって言うのを経験した事はなかったんですけど、やっぱり自分が投げられないとか野球が出来ない間に他のチームメイトが試合で活躍したりするのを見ると焦ったりとか辛いでしょうね。中込さんは現役の最後は台湾のプロ野球に行かれたんですよね? それはどういう思いで海を渡ることになったんですか?」
  • 中込
    「そうだな~、やっぱり故障とかリハビリ期間が長かったからかタイガースから戦力外を通告された時も、まだやれるんじゃないかって想いが強くて不完全燃焼だったんだよな。それで家族にもワガママを言って海外でもう一度プレーする事を決意したんだ」
  • 真木
    「日本の野球と台湾の野球って何か違いを感じた事はありますか?」
  • 中込
    「まだ当時の台湾の野球ってどっちかと言うとアメリカ的なパワー野球で、とにかくブンブン振って点を取りに行くって言う野球だったな。練習時間って言ってもほとんどがバッティング練習で守備の練習なんかほとんどないんだよ。もちろん最初は選手としてプレーしてたんだけど、そういう野球を身をもって経験してるうちに、次は野球を指導したいなって言う思いも強くなってきてね。それで現役には気持ちの区切りを付ける事が出来たんだ」
  • 真木
    「それで日本に戻ってきてチームを立ち上げたんですね?」
  • 中込
    「そうだな。最初は沖縄でチームを立ち上げて約2年くらい活動してるうちに、台湾でプレーしてたチームからチームの建て直しの為に指導者として来て欲しいって言われて行ったんだよ。最初はピッチングコーチを任されて、やっぱり野球はピッチャーが大切なポジションだから徹底的に投手陣を立て直したね。そして翌年、やっぱりシーズン前期が最下位で終わった事もあって後期は監督を任されるようになったんだ。そしたらなんと後期は優勝することが出来たんだよ」
  • 真木
    「自分は一緒のチームでプレーさせてもらった事はないですけど、中込さんと言えば野球のプレースタイルでも私生活でも勝手に豪快なイメージを持ってましたけど、こうやってじっくりと話を聞かせてもらって完全にイメージが変わりましたよ」
  • 中込
    「そうだろうな~、日本のプロ野球時代でも台湾の時代でもいろいろとお騒がせする事もあったからいろんなイメージを持たれてるんだと自分でも思うしな。だからと言って今になってあの時はこうだったとか言ったってしょうがないだろ。何を言ったって信じる人もいれば信じない人も必ずいると思うからね。
    今は完全に野球から離れて毎日過ごしてるけど、こうやって毎日コツコツと真面目に過ごしている姿を見てもらって感じてもらうだけで充分なんだよ」
  • 真木
    「そういう意味では、このタイガースの聖地である甲子園球場のすぐ横でお店をされているのは最高の場所ですね。現役時代の豪快な中込さんの事を応援してくれていたファンの人も、またここに来れば中込さんを応援したり接する事だって出来ちゃうんですもんね」
  • 中込
    「このお店は、俺がやる前にもタイガースのOBの先輩がやっていたお店で、その頃からタイガースファンには知ってもらってたお店みたいだから、その場所でお店をやらせてもらって良かったと思ってるよ」
  • 真木
    「自分もこのお店があったからこうやってよくテレビで見ていた中込さんとお話させてもらう事が出来たので良かったです。
    じゃあ最後になりますが、いろいろな経験をされてきた中込さんから、今からプロ野球選手を目指して頑張っている子供達やその家族の人達に何かアドバイスをしてもらえますか」
  • 中込
    「そうだな~。やっぱり選手は長くやってきた人とか長く生きてきた人達の話をよく聞いて欲しいと思うな。特に自分の両親なんかは自分に悪くなるような事なんて言う訳ないんだから、まあ時には反発もするだろうけど、それでもしっかりと感謝をして話を聞けるようになってほしいな」
  • 真木
    「あ~、すごく耳の痛い話ですね・・・。自分自身も親の言う事にはなかなか素直に耳を傾けられないですからね・・・」
  • 中込
    「まあ、子供って言うのはそういうもんなんだけどな。その反対に親は親で、無理矢理言ってることを聞かせるんじゃなくて、たとえ相手が子供だったとしても、相手のことをよく考えてあげながら教えてあげたり意見を言ってあげてほしいと思うね。親と子だったり大人と子供だったとしても、お互いのそういう気持ちがあるからこそ信頼関係に繋がっていくんだと思うからな」
  • 真木
    「確かにそうですね。親子とか家族でもそうですし、家族じゃなくて他人同士だったら尚更同じことが言えますもんね。相手との信頼関係だったり、コミュニケーションで一番大事なことで、そういう心遣いができない人は野球をやらせてもダメな選手が多いですよね」
  • 中込
    「そうそう、野球だけじゃなくて何にでも共通して言えることなんだよね」
  • 真木
    「今日はありがとうございました。お店の準備もあると思いますのでこの辺で終わらせてもらいます。次はプライベートでご飯食べに来ますので、その時にでもゆっくりとお願いします」
  • 中込
    「おうおう、いつでもおいで」
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